400万年の湖から−山・自然・旅の湖西暮らし[2]
「ようこそ、ブルーマウンテンロッジへ。最近の記事欄からお入り下さい。ブルーマウンテンズギャラリーやオアシスギャラリーもご覧下さい。水源の森例会でお会いするのを楽しみにしております」
[水源ウォ−カーのひとりごと]
トレイルパンフレットに続き、トレイルマップができて今日無事納めることができた。協議会から一任され、自らの写真と文章で原稿を作り、デザイナーK氏にカタチにしてもらい関連会社で印刷製本してもらったものだ。作り手からすると反省点も少なくないが、多くの人の興味をそそるものができたと思う。これをステップに新しい状況が生まれることはまちがいない。それはトレイル自身に内実が伴っているからだが、これを持って歩く人において登山の欲求を充たすだけではなく、もっと意味深い幸いというようなレベルでの効用があることを祈りたいと思う。1000メートルに満たないとはいえ、80キロの中央分水嶺のトレイルである。踏破するということは一瞬の頑張りでは不可能であり、歩き続ければ数日、毎月に分けて歩けば半年、一年という時間が必要となる。時間をかけて自然とつき合うことは素晴らしいことだ。自然の営みが理解できると、人間の歴史というものに反発していた人も素直に受け入れることができるようになるから不思議だ。他人から指図される前に、自ら道を伐り拓き、自らの意志で歩き、自らを高みへ導き上げることに、人としての至上の喜びがある。出来上がったマップを見ながら、こうした幸いなるトレイルとして心ある人に喜んでもらえたらと願ってやまない。2007.10.22
皆子山へ、皆子谷から登り東尾根を前坂峠へ下る。これは私にとってはとても意味がある。西尾根や皆子谷右岸尾根のルートとあわせて、これでこの山へのこれからのアプローチとなる道を網羅したことになるからだ。比良山とともに皆子山は湖西の山への重要なゲートマウンテンであり、比良は山の変化、この山は奥深さのシンボル的な存在として重視してきた。ちょうど湖西の山踏査が高島トレイルという形となったタイミングでもあり、びっしりと生えていた笹がすっかり枯れてしまったことがきっかけとなって、安曇川水源でもあるこの山にふさわしいアプローチを考えてきた。単に地図に線を入れて楽しむのではなく、魅力をあますところなく持つ素晴らしいルートでなければならない。そうした面でも今日多くの人を案内して、その人たちの反応は心強いものであった。2007.10.21
全国ふるさと情報交換会へ今年も顔を出すことができた。各県の大阪事務所が毎年行なうもので、出版社時代から好んで行き、ひと時観光が時代を拓くというような夢を見させてもらうのだ。もちろんいいことずくめではなく、時代の後追いという傾向やそこに集まる無気力な旅行関係者の姿に我が身とだぶりハッとさせられることも多い。地域に光をあてる。旅に学ぶ。どんな時代になろうと旅の効用はいささかも損なうことはない。発信される情報が期待するものと落差があっても、こう思える場の雰囲気があるかぎり私は出席し続けたいと思う。そして水源の森や中央分水嶺の話題や取り組みがテーマのひとつになる年が来ることを祈りながら。ちなみに今年の話題は、平泉世界遺産、週末は山梨、やっぱ能登、おいでませ山口、土佐であい博、沖縄ミュージックタウンと新ミュージアムについてであった。2007.10.19
尾瀬、雨飾と多くの人を案内する。どちらも素晴らしいところで、紅葉には少し早かったが歓声が随所で上がり、参加した人は山の素晴らしさを十分に堪能したことだろう。ブナ林という面では湖西の山と接点があり、私にとってもどちらも違和感はない。尾瀬は昨年来行っているのでここで改めてふれるまでもないが、フォッサマグナの核心部であり、塩の道が越える姫川右岸という意識で、雨飾を眺めたのは今回が始めてかもしれない。白馬や妙高の間にある小さな山というイメージから、ダイナミックな地形が展開し、山裾に豊かなブナ林が広がる自然境であることを痛感。鎌池を眺めながら、中央分水嶺ではないものの海谷山塊も含め、改めてじっくりと巡りたいと思った。2007.10.13
今日は滋賀県レイカディア大学の入学式。呼ばれて行ってみると、議会対応で忙しい嘉田知事はさすがに欠席だったが200人ほどの盛大な式だった。水源の森について話してもらえばいいということで引き受けた地域文化学科の講師だが、団塊の世代の新入生を前にして話が伝わるだろうか、不安がよぎる。「何でもできることはやらせてもらいます」と返事をしてしまうフリーランスはつらい。というもののこれまでの旅の本棚のツアーガイドでそうした年代の人と接することが多かったので、まあどうにかなるだろうという気分になれるだけ幸いかもしれない。せいぜい400万年の琵琶湖ファンを作ることにしよう。
昨日は高島トレイル対応のヤマケイ関西ハイキングの見本誌が届き、トレイルマップの最終確認も終えて、一連の仕事のめどが立ち、旅行情報&地域活性化サイト旅家の屋久島特集の原稿も送ってひと区切り。いよいよこれから秋山。記事作りをしているといつも痛感するのが、写真の貧弱さ。気持ちが伝わるような写真をもっと真剣に撮らないと、原稿を書いていても面白味がない。2007.10.4
400万年の琵琶湖のふるさとをご存じだろうか。ワンダーレイクは伊賀地方からスタート。その時代には大阪湾から伊勢湾にかけて古瀬戸内海が広がっていたといわれている。伊賀の西南には室生があり、岩山や高原が広がるが、これはその後にできた火山群。最高峰は倶留尊山であり、ススキを愛でに曽爾高原お亀池から登ってきた。私は瀬戸内育ちで琵琶湖暮らしをしていることから、室生火山群を歩くととてもハッピーな気分になる。何はなくともよき場所に育ちよき場所に暮らすことは幸いなことにちがいない。それはともかくとして地殻変動で海が山となり、鈴鹿山脈、比良山系が次々と隆起するのとあわせて、琵琶湖が400万年を経て現在の地に移動した天地創造のストーリ−に、いい場所で思いをめぐらすのは楽しいことだ。2007.9.30
JR大阪駅に着いたが旅の本棚へ行く時間に少し早かったので、ギャレのアウトドアショップをのぞく。一角にフォックスファイアというメーカーの小さな店があって、カウボーイタイプの帽子が目にとまり狭い店内へ。品揃えからオシャレだが昔のこだわりが感じられて、少し興味が湧いたので、会社のことを女店員さんに聞いた。釣具メーカーであり、心地いいオールドファッションのテイストで、アウトドア全般に展開している途上であることを熱心に教えてくれる。こちらが山に親しんでいるとわかれば、ここの店長の話を持ち出してきた。仕事柄もあり山が好きになって休みの今日も山へ行っているという。今どきマニュアル化された接客でなく、実にのびのびとひとりアウトドアショップの仕事を楽しんでいる様子は、私の大好きだった一昔前の雰囲気だ。ろくろく知りもしないことを専門化ぶって売るところが多いなかで、こうした店はぜひ生き残ってほしいものだと思ったものだ。2007.9.27
今日は明王ノ禿への沢歩き。やっと秋らしい天気となって意気揚々と谷に入るが、なぜか北側の支流へ入ってしまう。砂防堤をいくつも越えて行くうちにおかしいなと思ったが、後のまつりでご一緒した人にわびる。とはいえ小さいが本流にない滝がいくつかあって楽しめたので許してもらおう。湖西においてマキノの山の魅力は花崗岩にあるが、谷はその持ち味が存分に出ていて気分を明るくしてくれる、上流には炭焼き窯跡があってそのひとつは珍しいことにけむり抜きと思われる穴があった。源頭には枝分かれした沢をまたぐようにヌタ場となっている小湿地もあって退屈しない。北隣の沢の源流がすぐ下を流れる見覚えのある尾根へ登りきり、明王ノ禿北側の縦走路へ出る。コースをまちがえたショックからか源流水を汲むのも忘れたので、残念ながらとっておきの場所明王ノ禿では昼食だけとなり、三国山山頂でコーヒータイムとなる。静かな初秋のひと時をすごした後、車を回送してある黒河峠へ下る。明王ノ禿へのルートがまたひとつできたことは収穫だが、本流は遠からず再チャレンジしなければならない。2007.9.26
県立琵琶湖博物館のホームページで電子図鑑『琵琶湖地域の火山灰図鑑』が公開されている。高島沖で湖底約140mのボーリングをして、40万年の地層を調べたものだ。琵琶湖が現在の姿になってからのものであり、比良山が現在の姿になった六甲変動と呼ばれる頃と同じ時代と考えていいと思うが、その地層の中に噴火による火山灰の層が75も挟まれていていることがわかったという。大山、三瓶山、くじゅうの火山や阿蘇、加久藤、姶良、阿多、鬼界のカルデラからのものだが、鬱陵島や天城山のものも含まれているようだ。各地の山と琵琶湖のつながりにしばし思いを寄せてしまうが、地層はそれぞれの時代のタイムカプセルのようなものであり、火山灰層以外についても研究が進めば、氷河時代や間氷期の水源の森の詳細な様子などもわかるのだろう。自然史ミュージアムとしての琵琶湖のすごさを改めて教えられる。2007.9.25
暇な時はもっぱら全国各地の、中央分水嶺に関するホームページを見て情報収集。市町村、山名、団体名と思いつくまま片っ端から開けるのだが、各地の動きは芳しいものではない。昨日の朝日新聞で取り上げられていた「限界集落」ではないが、山間部は過疎が進み残る人の高齢化が確実に進んでいる。全国に8000ヶ所近くあって近い将来その3割くらいは集落が消滅するという。山の5万分の1地形図を見れば、幾つかの黒沫が印された集落が谷間や山の緩斜面に無数に散らばっていて、北海道を除けば集落の見あたらない図幅がほとんどないといえるくらいだ。ネイチャ−フロントでつかんだ幸せが、時代が変ればその不便さが命取りとなって悲劇を招きかねない。とはいえひとりになっても住み慣れた場所は離れられるものではないのだ。こうした過疎地に華々しい観光のニュースなどある訳がない。高齢者が取り組める範囲でのささやかな地域活性化策の話題はあるが、長続きするようなものは少ない。過密の大都市と過疎地のいなかの対比で語られがちだが、地方中核都市と流域市町村単位での取り組みで個別に仕事、学校、病院、防災、地域の足など生活全般について取りまとめて対策を具体化させなければ悲劇は現実のものとなるだろう。こうしたいわば環境生活圏の再構築は各地で着手されているが、果たして間に合うのだろうか。2007.9.17
青山舎ココログの「青山の頂きへ」のコーナーを、この間でジオクラフィックマウンテニアリングへ一本化した。地理登山という日本語ではちょっと元気もでないのでカタカナを使う。人を案内することが多くなって、私の求める登山って何なんだろう、と考えることが多くなって新しい看板を作ったのだ。地理というと学校の科目を連想する人がいるだろうが、そんなに堅苦しいものではない。雑誌にもナショナルジオクラフィックがあるように、これは楽しみのひとつだ。いつ、どこで、だれが、なにを、どうしたというなかで、どこでということにポイントをあてるものだ。大雪山は2290mだが永久凍土があり3000mのアルプスにはそれがない、というように山も高さだけではなく、どこに聳えているかで持ち味が変ってくる。高島トレイルがすごいのは低いのに若狭湾と琵琶湖にはさまれた自然回廊だから、または京の都に近いから歴史民俗がおもしろいとか、そうした例は各地にいっぱいある。さらに環境の時代は地球規模でとらえる必要があるが、あわせて自らが住む地域視点で考えることが組み合わさって始めて力になる。琵琶湖に関心を持つ人で、いったいどれだけの人が水源の森のことを詳しく知ろうとしているだろう。その点、静かな山へ向かう登山者は偉いと思う。未知への確かな志向があるから。こうした諸々のことから、私はジオクラフィックマウンテニアリングを標榜したいと思ったのだ。2007.9.14
「頂上へあと20分」という標識がブナの木にかかる。ちょっと微妙な時間だが、頂上は遠くはないことはまちがいないだろう。確かこの上でブナ林を抜けて潅木帯になって、奥美濃側の展望が開けるはずだ。なぜかこの山はひとりで登ることが多く、雑な歩き方となってはなはだ記憶があいまいなのはなさけない。鳥越林道がない時、工事が進むのにあわせて登り口が上へ上へと移動していて、登るたびに変っている様な気がする。 今日などは峠から岐阜側へまわったところからの最短コース。青山舎の本を置いてもらっているところを午前中にいくつかまわり、時間があったので姉川支流草野川の近江高山あたりの流れを見にきたのだが、鳥越林道のゲートが珍しく開いているものだから、それではちょっと失礼と入ってきたのだった。杉の植林地が多い山だが、何しろ1317mあって琵琶湖のまわりでは伊吹山に次ぐ高さ。おまけにパソコンを置く部屋の窓から湖ごしに望めるとあって、私には気になる山なのだ。稜線に立った時のソムギを正面にした奥美濃の景色はここならではのもの。今日は霞んでいてだめだが、天気がいいとアルプスがその奥に見える。スケジュール調整ミスや今週末の天候で秋の特別例会は二転三転。結局来週三連休に双六から雲ノ平へ行くことになりそうだが、ススキの穂を愛でながらのこの山頂往復で夏山疲れも吹っ切れて、まさに頂上へあと20分の気分。2007.9.12
京から比叡への道を歩いてきたぱるるロハスウォーキング(毎月第二土曜)は和邇まで足をのばし、貴船から鞍馬の納涼ウォークを経て、今月からは愛宕さんへの道となる。比叡山へは蹴上からスタートしたこともあって、ここから歩き始めることに。市街地の西側にそびえる姿を見届けて、八坂の塔への東山山麓を進む。ほとんどの人がこの定番のコースを知らないのに驚くが、それならばと建仁寺から祇園へも立ち寄り団栗橋で鴨川を渡って松原通へ。残暑が厳しく体を冷やしに西本願寺の休憩所へ駆け込み、水遊び場があり木陰もある梅小路公園で弁当を開く。山陰線、東海道線、新幹線に加えてSLが行き来する景色は、鉄道マニアでなくとも心躍るものがある。西大路駅までの、知ってるようで知らない楽しい京都の下町歩きの一日であったが、来月はここから桂川伝いに嵯峨嵐山駅まで歩く。2007.9.8
三重嶽間谷の沢歩きを残して夏山はほぼ終り、気になっていた家の垣根を刈る。家を建てて以来今日まで私の重要な仕事となっている。プリペットは夏の成長は特にすさまじいものがあり、梅雨明けから1ヶ月で伸び放題。これだけは自然のままにという訳にはいかない。26年も経ち、木は太く高さは2メートル以上あり、我が家では壁摘みと呼んでいるが作業を始めると人格が変るくらいの格闘ぶり。柄の伸びる電動バリカンを使って80坪の四周をやり、大きくなった郷里瀬戸内のウバメガシ、玄関先のグミ、そしてテラスのナニワノイバラをやり、芝ならぬ雑草を刈り込む。一年一年手ごわさを増していて、妻が後片付けを手伝ってくれるが一日の作業としてはハードで、モチベーションを高めて一気にやるのだ。高い脚立の上の作業となり、自分でも信じられないが山登り以上にくたびれる。夕方へとへとになって終え、シャワーを浴びて、新装になった庭で一杯。壁で仕切られた26年の空間は多くの思いが積み重なっているが、すっきりと整えることによってなぜか新鮮な気分になれるのだ。壁はだんだんと高くなるが、まだまだこれしき。2007.9.1
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 青山舎例会案内(2009.07.09)
- 山・自然・旅(2009.07.10)
- 青山舎の自然と暮らす本・記事(2009.06.15)
- 青山舎から(2009.06.29)
- 中央分水嶺トレイル情報(2009.07.08)
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/321062/8550263
この記事へのトラックバック一覧です: 400万年の湖から−山・自然・旅の湖西暮らし[2]:


コメント